パチンコにはまった僕(依存症への道)
ずいぶん間が空いていてしまいまいたが、2回のビギナーズラックによりすっかりパチンコの虜になってしまった僕のそのあとの経過について。
数回の大当たりにより、某ハンバーガーチェーンのアルバイトの1日の労働分の金が手に入るという衝撃を体験した僕。
と
はいえあのころの僕は今振り返るとまだまだ理性を保っていました。
具体的にはというと一回のパチンコに投資する金額です。
所詮、1日のアルバイトの稼ぎは7千円から8千円程度でした。パチンコに行ったとしてもその1日の労働に対する重みは心の中にあり、一部をパチンコという娯楽に充てようという意識が働いており、せいぜい3千円程度でした。
パチンコをやる人であれば、パチンコという遊びに対する3千円の価値の微々たる力は想像できることでしょう。
少しの時間で当たればラッキー程度な宝くじ程度の感覚がありました。
それゆえに1日のパチンコに割く時間も微々たるものでありました。
しかし、そんな中、なにかの雑誌かスポーツ新聞を読んでいた際にある広告が目に入りました。
「1円パチンコ登場!」
今でこそ「1円パチンコ」はすっかり定着し、一円パチンコ台の置いていないパチンコ店を探す方が難しいくらいです。
僕が大学3年生の当時、たしか東京の三田にあるパチンコ店で僕が知る限りは初めての1円パチンコ台の設置がありました。
正直、初めて遊戯をした際は衝撃でした。
今まで一瞬で無くなったパチンコ玉の減りが遅い。
当たり前です。
1,000円で250玉借りられたものが4倍の1000玉借りられるのですから。
1円パチンコの出現は単純に僕のパチンコ台に向かう時間を大幅に増やしました。
バイト先と大学はわずか30分程度の場所にありましたので、毎日のように1円パチンコを打ちに通うようになりました。
朝、7時から15時までのアルバイトを終えた後、電車の座席に座ったら即眠りに落ちるくらいの疲労の中、トイレで顔を洗い、くたびれた体でパチンコ屋で向かいました。
大学の授業があるときでも授業が終わると即パチンコ屋へ。
たとえ遅い時間帯の授業、20時半ごろ終了する授業のあとでも
「1時間半あれば一勝負できる」という考えの元パチンコ屋へ。
あっという間に生活の中心はパチンコへ。
アルバイトをさぼるという経験はありませんでしたが、
大学の授業をさぼってパチンコ屋へ行くということは当たり前になりつつありました。
大学ではあるサークルに所属していました。
サークルの活動が終了すると、ファミレスに行ったりし、なんともない時間ですが会話を楽しんだりするのが日常でした。
しかし、パチンコ屋へ向かうことが生活の中心になった僕は
友人の誘いにも「今日は用事がある」といい残し、早歩きで電車に乗り込み
数駅先にあるパチンコ屋のある駅へと向かうことが当たり前になっていきました。
正直、今でも後悔することがあります。
あの友人と時間空間をなんの目的のなく楽しめた時はもう戻ってこないと。