パチンコとお金と僕
パチンコで失うものの大きな一つがお金である。
恥ずかしい話であるが僕にはお金があまりない。
20そこそこからパチンコにはまり、約10年間パチンコと向き合っていた。
はじめは、そう3000円とか5000円とかで辞められていたんだ。よくきく言葉ではあるだろうが、人間の欲望に際限はない。「とにかく当たりがみたい」という一心でチケットのごとくお札をサンドに吸い込ませていく。
とまらない、冷や汗。
鼓動が早くなる心臓。
気がついたら財布には小銭のみ。
そんな生活を毎月送っていた。
お金が余って翌日に回すなんてことは一度も経験したことがない。
給料を全部お金に使うなんてバカみたい。
そんなバカならまだいい。
借金もした。はじめは抵抗感があったが、まるで銀行から下ろすかのようにお手軽にでてくるお金。
それをもって毎日パチンコ。
あっというまに限度額いっぱいまでなった。
とにかく打ちたい。
4円パチンコ→1円パチンコ→0.5円パチンコ
とにかく打ちたい。
0.00000001パーセントの可能性でしかお金は取り戻せない。
でも取り返したい。
欲求が僕の頭に渦巻く。
サラリーマンの僕とパチンコ
サラリーマンになってからの僕はさらにパチンコにのめり込んだ。
もちろん学生のころよりも時間の融通は利かなくなってが、それでも僕はパチンコがもっともっと大好きになっていった。
休みの日は、朝の7時になると自然に目が覚めた。
会社のある平日なんて目が覚めても、5分の余裕があればまた布団に潜り込んでいたのに休みの日は違った。
もちろん、パチンコがあったからである。
10時になるとパチンコ屋へ行き、遅いと閉店までパチンコ台と向き合っていた。
友人の数が多いとは言えない僕でも、休みの人ともなると友人から飲み会や遊びに誘われることがあった。
しかし、僕の中での優先事項はいつでも「パチンコ」であった。
なんかしらの理由をつけ、その誘いを断ることが多かった。
本来は仕事に打ち込むべき、新人時代の僕はひたすらパチンコ台と向き合った。
仕事が終われば、パチンコ屋へ直行。
仕事は比較的忙しい会社でみんなが残業をするという空気が当たり前であった。
もちろん、僕もその空気に逆らうことはしなかった。
20時に会社を出られたら、ラッキー。
閉店までの2時間くらいはパチンコを打てる。
21時に会社を出られたら、
今日は1時間しかパチンコを打てないな。
22時に会社を出た日があった。
さすがに今日は時間がないな・・・・
とはいかない。
どうしてもパチンコが打ちたい。1回でいいからあたりを見たい。
そんな欲求が僕をパチンコ屋へ走らせる。
店についたのは22時40分。22時50分で店は閉店になる。
慌てて千円札をパチンコ台へ投入する。
数回転で当たりを引く、運よく確率変動に入る。
しかし、それを消化する時間すらない。
結局、確率変動を残したまま、店員が近づいて閉店を告げられる。
くやしい思いはもちろんあるが、それよりも当たりを見られた充実感。
完全に依存症が出来上がった。
次第に僕は会社に嘘をつくようになった。
営業に行くといい会社を出る。
ホワイトボードには1時間遅めの帰社時間を記入する。
用事を済ませ、うその1時間を消化するためにパチンコ屋へ向かう。
さらに状況はひどくなる。
嘘の訪問先を記入し、パチンコ屋へ向かうことが当たり前になる。
はじめは罪悪感のようなものを少しは抱えていたが、しだいにそういった気持ちも薄れていく。
数時間もパチンコ屋へ入り浸り、たばこの煙まみれになった僕のその匂いをさせたまま夕方何事もなかったかのように会社に戻り、仕事をしているフリをする僕。
もしかしたらその匂いで気づいている人はいたかもしれないな。
パチンコにはまった僕(依存症への道)
ずいぶん間が空いていてしまいまいたが、2回のビギナーズラックによりすっかりパチンコの虜になってしまった僕のそのあとの経過について。
数回の大当たりにより、某ハンバーガーチェーンのアルバイトの1日の労働分の金が手に入るという衝撃を体験した僕。
と
はいえあのころの僕は今振り返るとまだまだ理性を保っていました。
具体的にはというと一回のパチンコに投資する金額です。
所詮、1日のアルバイトの稼ぎは7千円から8千円程度でした。パチンコに行ったとしてもその1日の労働に対する重みは心の中にあり、一部をパチンコという娯楽に充てようという意識が働いており、せいぜい3千円程度でした。
パチンコをやる人であれば、パチンコという遊びに対する3千円の価値の微々たる力は想像できることでしょう。
少しの時間で当たればラッキー程度な宝くじ程度の感覚がありました。
それゆえに1日のパチンコに割く時間も微々たるものでありました。
しかし、そんな中、なにかの雑誌かスポーツ新聞を読んでいた際にある広告が目に入りました。
「1円パチンコ登場!」
今でこそ「1円パチンコ」はすっかり定着し、一円パチンコ台の置いていないパチンコ店を探す方が難しいくらいです。
僕が大学3年生の当時、たしか東京の三田にあるパチンコ店で僕が知る限りは初めての1円パチンコ台の設置がありました。
正直、初めて遊戯をした際は衝撃でした。
今まで一瞬で無くなったパチンコ玉の減りが遅い。
当たり前です。
1,000円で250玉借りられたものが4倍の1000玉借りられるのですから。
1円パチンコの出現は単純に僕のパチンコ台に向かう時間を大幅に増やしました。
バイト先と大学はわずか30分程度の場所にありましたので、毎日のように1円パチンコを打ちに通うようになりました。
朝、7時から15時までのアルバイトを終えた後、電車の座席に座ったら即眠りに落ちるくらいの疲労の中、トイレで顔を洗い、くたびれた体でパチンコ屋で向かいました。
大学の授業があるときでも授業が終わると即パチンコ屋へ。
たとえ遅い時間帯の授業、20時半ごろ終了する授業のあとでも
「1時間半あれば一勝負できる」という考えの元パチンコ屋へ。
あっという間に生活の中心はパチンコへ。
アルバイトをさぼるという経験はありませんでしたが、
大学の授業をさぼってパチンコ屋へ行くということは当たり前になりつつありました。
大学ではあるサークルに所属していました。
サークルの活動が終了すると、ファミレスに行ったりし、なんともない時間ですが会話を楽しんだりするのが日常でした。
しかし、パチンコ屋へ向かうことが生活の中心になった僕は
友人の誘いにも「今日は用事がある」といい残し、早歩きで電車に乗り込み
数駅先にあるパチンコ屋のある駅へと向かうことが当たり前になっていきました。
正直、今でも後悔することがあります。
あの友人と時間空間をなんの目的のなく楽しめた時はもう戻ってこないと。
僕とパチンコの出会い(パチンコ依存症への道)
ブログタイトルについて・・・すみません、超人気ブロガーイケハヤさんのタイトルをパクりました・・・リスペクトということでお許しください。
タイトル通りパチンコは人生を消耗させます。
東京で暮らすことよりも何十倍、何百倍もお金、体力、視力、精神力、時間etc...
数えきれないものを消耗させてしまいます。
僕は今、33歳。
かれこれ10年以上の人生の貴重な時間をパチンコに費やしてきました。
初めてパチンコに出会ったのは大学3年生の時でした。
当時僕は時間を持て余し気味で、暇な時間は自転車に乗り目的もなく、プラプラしているというのが日課でした。
東京に住んでいる僕は高円寺まで自転車で行きました。
尿意を催した僕は、パチンコ屋のトイレに駆け込みました。
客も2~3人くらいしかいないような古びた店内。
トイレをすました僕は、ドアに向かって歩いている途中に悪魔のささやきが聞こえてきました。
「もう、20歳も過ぎたしパチンコでもしてみるか」
たしか財布にはいっていたのは5,000円ほどだったかと思います。
「まあ、2,000円だけやってみよう」
と千円札を小銭へ両替しにいきます。
(当時のパチンコは小銭を投入もしくはカードを販売機にて購入していたかと思います)
500円玉を2枚投入し、玉がなくなりかけたその時、
リーチがかかり、そのまま少し派手な演出が始まり(たしか、ロボットが出てくるパチンコ台でロボットが何者かと戦っていた気がします)
少し経つと数字が3つ揃っていました。
その数字は奇数でいわゆる確率変動になる数字でした。
玉がジャラジャラでてひと箱が満杯になりました。そして次のあたりは偶数で確変終了。2箱のパチンコ玉をおおよそ30分も満たないうちに獲得します。
結局、1,000円を使い、8,000円を手にします。
当時、僕はマクドナルドでアルバイトをしており時給1,000円で働いていました。
わすか、30分足らずで朝の7時から、昼の15時までへとへとになりながら働く稼ぎが手に入りました。
まさしくビギナーズラックというやつです。
今でも、思い返します。
この時に、パチンコ屋のトイレでなくコンビニのトイレを借りていれば・・・
大当たりすることなく、財布の中の5,000円をすべて使い切りパチンコを嫌いになっていれば・・・
まぁ、そんなことを後悔しても仕方がないことだし、遅かれ早かれパチンコには出会っていて、結局は今と同じような人生を歩んでいたことでしょう。
すっかり、パチンコのとりこになった僕は、次の日も自転車に乗ってパチンコ屋に繰り出します。(高円寺の隣の阿佐ヶ谷のパチンコ屋でした)
そこは寂れたパチンコ屋なんかではなく店内アナウンスが常に鳴り響いており、席はほぼ空きがないという状況でした。まさしく繁盛店。
たまたま空いている台に座ります。
カードを販売機で購入し、パチンコ台に入れハンドルをひねります。
ビギナーズラックというものは続くんですね。
しかも今回の出玉は昨日とは比べようにもなりませんでした。
次々に赤い数字がそろっていき、確率変動という文字が長い間続きました。
パチンコ屋の仕組みをあまり理解しておらず、数字がそろうと慌てて満杯になったドル箱を自ら椅子の後ろにおろし、走って空箱をとりにいきました。
結局10箱以上に箱が座席の後ろに積み重なりました。
結局、手元にはたしか50,000円くらいのお金が。
今となってはその50,000円を何に使ったかすら思い出せません。
うきうきの気分で1時間ほど自転車に乗り自宅へ戻ったのを覚えています。
この2日間が完全に僕がパチンコ漬けになったはじまりの2日間でした。